WEBサイトを見てくださり、ありがとうございます。

経歴やどんな写真を撮るのかは他ページを見ていただくとして・・。
このblogページでは、私がどんな人なのかということをお伝えしていきたいと思っています。

今日は1回目なので詳しい自己紹介から。
・・ですが長いので、お時間とご興味のある方は読んでもらえたら嬉しいです💦

小学生時代

まず、出身は北海道の東側です。
親の仕事の都合で小学生の時に1度、中学生の時にも1度引越し & 転校を経験しています。

2つの小学校に通ったのですが今はどちらも廃校になっていますし、当時も同級生は2〜3人しかいないような環境でした。という情報だけで、どれだけ田舎だったか伝わるのではないでしょうか😅

大家族のように1〜6年生が一緒に遊んでいたので、寂しいと思ったことは全く無かったです。近くの学校との合同行事もいろいろとあったし、むしろいろいろな年齢、学校の人たちと過ごせたのはラッキーでした

人数が少ないと1人1人の役割も大きく、運動会や文化祭などの学校行事も先生と生徒が一緒になって進めていく感じ。自分の意見を言わざるを得ない状況でした。

その結果 主体性が身についたと思いますし、それが今フリーランスとして仕事をする上でとても役立っていると感じています。

子供の頃は、とにかく運動ができないことが大きなコンプレックスでした。その分得意だった文章を書くことや、長年習っていたピアノを頑張ろうと意識していた感覚があります。

体が弱くてしょっちゅう熱を出したり入院もしていたので、どちらかと言うと文化系の子だったかもしれません。

小さな頃から毎年、親の帰省ついでに全国あちこちに連れて行ってもらったので、色々な景色を見たことも今写真を撮る上で役立っているかもしれません。見聞を広め、貴重な経験をさせてくれた両親には感謝しています。

ただ・・外を見たことで北海道の田舎加減に嫌気が差してしまい「高校を卒業したら北海道を出よう」と10歳の頃にはすでに思っていました💦

中学生〜高校生時代

中1の夏休み、あまりにも暇すぎて家の中を漁っていたら父の古いフィルムカメラを発見します(OLYMPUS OM-10)。撮り方を教わり、その写真をプリントして見た時に「後ろがボケてる!」と感動。写真に夢中になります。

そこから空や風景を撮るようになり、写真集を買ったり、憧れの写真家ができ、中学生の頃は写真家になりたいと思っていました。

高校時代は1時間のバス通学をしていたので、部活もバイトも時間の都合でできず、楽しみは趣味の映画と高校野球、写真でした。

学校は6クラスくらいある普通規模の学校でしたが、人間関係につまづき、非常に楽しくない学校生活でした。趣味があって良かったと思いながら過ごしていた記憶があります。

短大時代

文章を書くことと映画が好きだったので脚本家に憧れ、卒業後はある短大の文芸学科に進学します。道外の学校で探し、たまたま名古屋に行きたい学校を見つけたのでした。

名古屋は行ったこともなく知り合いもいなかったのですが、そこは気にならず。無事合格し、そこから1人暮らしが始まります。

北海道は出たかったのですが、家族と離れたのはとても辛く、ひどいホームシックでちょっと痩せました(パン屋でバイトを始めてすぐに元より太ったのですが😅)。

短大の2年間はいろいろな仕事を経験したいと思い、飲食業界を中心に常にバイトを掛け持ちしていました。辞めた次の日には違うバイト場に行き、2年間 間髪入れずに働いていた感じです。

とにかく要領が悪く、いろいろなバイト場で死ぬほど怒られ・・泣きながら帰った日も1度や2度ではありません。でもバイト場で他校の友達がたくさんでき、今だに仲良くしてくれている子もいるので総合的に見ると楽しかったです。

肝心の短大では本を読み、映画をたくさん観て、ゼミで毎週のように短いシナリも書いていました。今思うと贅沢な2年間だったと思います。でも、実際に書く中で、文章で生計を立てるのは無理だと諦めるように・・。

今思うとライターを目指せば良かったのに、書く仕事=作家みたいな思い込みがあって、視野が狭かったんですよね。

就職活動を始めるものの、入りたい会社が見つけられず、ほとんど受けずに活動をやめてしまいます。とりあえず会社員を経験しておけば良かったのにという気もしますが、まぁ仕方ない。

卒業後は特にあてもなく大阪へ移り住みました。

大阪は子供の頃からよく行っていて親しみがあったので、一度住んでみたかったんです。それだけで行ってしまえたのは、若さゆえの行動力ですね。

・・というわけで20歳まで説明しましたが、このペースで説明していくと長くなるので、一旦今日はここで終わります!

ありがとうございました👋